こぎん刺しと大和魂
◆こぎん刺しと大和魂
こぎん刺しが生まれた背景として主に語られるのが、雪国の厳しい寒さや、奢侈禁止令などがあります。物理的な背景としては全くその通りだと思いますが、それだけであの美しい模様が生まれるかと言われると、違和感というか、説明が足りないような気がしていました。しかしながら、自分自身はっきり言えることがなく、美しい自然や他にも何か心を豊かにすることがないと難しいのではないかなぁ?くらいに考えていました。
そんな時に、こぎん刺しをしながら聞いていたオーディオブックに考えるヒントが出てきました。中野信子さんの「努力不要論」です。江戸時代、江戸の庶民は遊ぶことを尊び努力を美徳としない考え方があったそうです。地方の青森の農民となると状況は異なったと思いますが(笑)、大和人の遺伝子が持つ「自由な心」は青森の農民も持っていたのではないでしょうか?貧しさや努力尽くしの泥臭さに心が飲み込まれていたら、たくさんの美しく興味深いモドコは生まれなかったのかな、と考えています。むしろ「遊びを楽しむ余裕」や、「自由な発想」、「美しさを生み出す精神、能力」があったからこその、こぎん刺しだったのかも、と自分なりにこぎん刺しの模様の美しさの源を見つけることができたような気がします。
大和魂が言葉として最初に出てきたのは紫式部の「源氏物語」だそうです。国語も古文も苦手な私にはちょっとハードルが高いのですが、もう少し踏み込めそうな気がするので、ここもオーディオブックの力を借りて、読んでみようと思います。(笑)
◆遊びのあること、余裕のあること
先日koginbankの石井さんとお話しした時に印象的だったのが、「東こぎん」のほとんどに模様に辻褄を合わせた様子が見られ、それはとても技術の要ることだと教えていただいたことです。もしかしたら、そこにも大和魂の自由を楽しむ心が自然と出ていたのかも、と想像すると、とてもワクワクしてきました。
加えて最近考えたのが、辻褄を合わせるスタイル=自分らしさの印、サイン(自分の名前を残す意味で)となったのかもしれないな、ということです。こちらに関しては改めてブログで書きたいと思います。
石井さんとお話して、辻褄を合わせるこぎん、計算から離れるこぎん、答えに向かって刺し進めないこぎんを楽しむ自分のスタイルに、少しだけ自信を持てるようになったと言うか、不安がなくなりました。今回の写真のキット①も、囲み部分は辻褄を合わせるスタイルで、ありのままの図案をキット図案として採用しています。今目の前にあるこぎんにとって、布と糸の量的なバランスや色の具合はどうかと考えて、そこを楽しみながら進めていく。今後もこのスタイルで楽しんで行き、少しでもこの面白さを共有できる方と出会えたら嬉しいです。
Satonobou
大和魂
日本人固有の知恵・才覚。漢才(からざえ)、すなわち学問(漢学)上の知識に対していう。大和心。
“Weblio辞書”. デジタル大辞泉. https://www.weblio.jp/content/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E9%AD%82 (2022.12.14)