刺し間違いの意識

◆刺しながら聴きながら刺しながら考える
 私はこぎん刺しをするとき(頭を使う必要がないとき)にAudibleでジャンルを問わず色々な本を聴きながら作業をしています。そうすると、頭が冴えてきて、なんとなくこぎんと通じているなとか、こぎんに抱いていた疑問に対して考える道標のようなものが見えてきて、楽しい気持ちになり、こぎん仕事が進みます。最近は禅や宗教の本を聞くことが多いのですが、やはりこぎんを思考する際のヒントがたくさん出てきます。

 

◆図案が先行している
 こぎん刺しをしていると、「間違ったから戻る」とか、「間違ったけどそのまま進む」といった、「間違い」が度々出てきます。「あー、順調だったのにー、、、」と言った具合です。
 当然、「間違い」があるということは、「正解」があるということで、こぎん刺しでいう「正解」はおそらく「図案」になると思います。こぎん刺しには「モドコ」と呼ばれる基礎模様があり(模様の最小単位「型」のようなイメージです)、ほとんどの人はこのモドコを軸にこぎん刺しを楽しみます。
 ところで、古作こぎんと呼ばれる昔のこぎん刺しを見てみると、今で言う「間違い」がそのままうまくまとめられて(辻褄を合わせて)作品が完成しているものが多くあります。(先日ブログで書きましたが、koginbankの石井さんによると、東こぎんのほとんどは辻褄を合わせていた部分が見られるそうです。)「糸が限られていた」「時間が限られていた」そういった理由ももちろんあったと思いますが、こぎん刺しをする際に図案が先行していないために、その瞬間瞬間が正解で、「間違い」の概念はほとんどなかったのではないか、そのように考えることができます。もしくは、「間違ったけど、これもいい」そんな、大らかさを小作こぎんに感じます。

 

◆こぎん刺しに禅を感じる 
「禅」では「今このとき、ありのまま」を尊重するそうです。それって、こぎん刺しに通じる!と思いました。ここで言うこぎん刺しは、図案先行の間違いのあるこぎん刺しではなく、その瞬間の頭の中を布の上に表現し、計算から得た図案でない「間違いの存在しないこぎん刺し」のことです。「あぁ、この辻褄も愛おしい、この瞬間にしか生まれないものだ」そう思うと、人間の温かさを布に感じることができます。人間でなければ作れない、その人のその瞬間でないと作れない布、そんなふうに。

 

◆間違ってもそのままでいい
 先日作品制作のお話をいただきました。材料をお預かりする際、「間違ったときも、そのままでいいです、むしろそれがいいです」、このような一言も一緒にお預かりしました。これまで、数点ですが「この人のためだけの」作品を作ったことがあります。その方をイメージし、その方を頭に浮かべるからこそできた唯一無二の作品、とても身近な人なので、安心して作業をしました。
 「完成はあるけど間違いはない」、「完成はあるけど正解はない」そんな作品作りで、作品は手元にありませんが、その時の感覚は今でも心に残っている、印象的な作品作りでした。
 今回の作品作りは、ゆったりと1年ほどかけて制作する予定です。まだ、イメージがぼんやりと浮かんだくらいの、始まったと言えるか言えないかわからないくらいの時点ですが、この「ありのまま」を受け入れてくれる前提でのこぎん作品作り、どんな作品が完成するのか、私自身とても楽しみです。 

 

キットを楽しまれるみなさん、図案の通りにいかなくても、その瞬間を大切に、作品として仕上げていただければと思います。

Satonobou